衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第9巻より
2017年(平成29年)1月28日 ベストグループ東北地区見聞会 ①
皆様、おはようございます。二歳半の時に生みの母が私を置いて、どこかへ行きました。それは神様が母親をチェンジなさったのだと、私はそう信じているのです。
母は私を置いていくつもりはなかったのだろうけれど、見えない力で私を置いて、家を出たのだろうと思います。それ以来、私は生みの母には会ったことがありませんが、母はずっと陰でお百度参りをしながら祈ってくれていたそうです。
私は未熟児で生まれたものですから、体が弱かったのです。しかし、私は母が陰で祈ってくれていたことを知りませんでした。だから、生みの母は悪い親ではなかったのです。戦後は、産んだ子供を置いていく親はめったになかったと思います。なぜなら、当時の親にはそれだけの道徳心があったからです。
生みの母は、私が高校一年生か二年生くらいまで、陰で見に来てくれていたそうです。ある時、その姿を育ての母が見つけて「私が立派な子供に育てているから、もう二度と会いに来ないで下さい」と叱ったそうです。それからは、生みの母はもう見に来なくなりました。
当時の親は、産んだ子供のことを忘れないのです。しかし、今の親は分かりません。今の親は子供を殺めたり、子供が親を殺めたりする方もいます。なぜなら、今の親は道徳をあまり知っておらず、命の大切さを知らないからでしょう。
命の存在を知らないから、人を殺めるのでしょう。命の尊さを子供に教えるのが親ではありませんか。今の親はお金の大切さを子供に教えますが、人間性や命の大切さを教えているのでしょうか。
人間性や命の大切さを教えている親は少ないと思います。私は育ての母によって、命の存在と人間性の大切さを徹底的に教えられました。それも具体的に教えられました。だから、事業をしても成功させて頂いたのは当たり前だと思います。
人と人との関わり方や社会での生き方について教えることが道徳です。今の子供たちは人と人との関わり方が下手な子が多いと思います。命の存在を知らないから、へっちゃらで人を傷つけるのかも知れません。我々の少年時代は、人を傷つける行為はしませんでした。
私は昭和十九年生まれですから、道徳について教えられたものです。その中で、私は人格や命の大切さ人間性について徹底的に教えられた一人ですから、見えないものを否定しませんでした。
当時は戦争で三百万人以上の方が亡くなられました。私は育ての母から「命があるから生きているんやで。命が一番大事やで。見えない命に生かされているんやで」とずっと教えられました。育ての母は小学校六年しか出ていませんでしたが、命の尊さを徹底的に教えてくれました。
当時の母親は心が浄(きれ)いでした。今の親はどうでしょうか。見えないものを認める方は、四名に一人くらいかも知れません。人間は、見えないものを認める方と認めない方がいるのはなぜなのだろうか。
人間は見えない命に生かされているのに、なぜ見えないものを否定するのだろうか。命は、実は見えるのです。当時の親は心が浄いだったのです。食べられなくても子供たちにはお金の話はしなかった時代でした。
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