衣川晃弘大先生の見聞会講話集「21世紀を幸せに生きる」第8巻より
2016年(平成28年)2月21日 ベストグループ道央道南地区見聞会①
北海道の皆様、おはようございます。私が二歳半の時に生みの母がどこかへ行きまして、新しい母が嫁いできました。育ての母は九人兄弟の長女で、小学校六年までしか出ていません。父は小学校四年までしか出ていません。父も育ての母も、学歴はありません。それでも、私は人格がとても素晴らしい母に育てられました。
三つ子の魂百まで。「三歳までに何を教えられたかによって、その子供の人生は一生が決まる」と、昔の方は仰いました。私は昭和十九年生まれで、今七十一歳です。当時、戦争で三百万人以上の方が亡くなられました。ですから、母から「三つ子の魂百までやで。小さい時の教えであんたの人生が決まる。一番大事なのは命の存在やで」とよく教えられました。
そのうち腹違いの弟二人と妹ができましたが、育ての母は弟たちにはあまり命の大切さを話していませんでした。ですから、二人の弟は命の存在も分からないし、人格の大切さも母からは聞いていないような気がするのです。ですから、命の存在と人格や人間性の大切さを聞いて学んだ私と、学ばなかった弟たちとは、全然人生が違いました。
ですから、私には三歳までに命の存在と人格や人間性の大切さを教えてくれた育ての母の教えがずっと身についているのです。私は本当に貧しい家庭で育ちました。しかし、私の小学校の時の写真を見て、貧しそうな顔に見えましたか? 見えないと思います。私が中学校、高校の時の顔はどうでしたか? ぼんぼんに見えたと思います。貧乏人の家庭には見えなかったと思います。
中学校一年の時に買ってもらった学生服を高校二年まで着ていました。貧しくて靴を買ってもらえませんでしたので、中学校の時に履いた靴を縫って、高校へ行きました。ですから、足の大きさはその頃から二十三・五センチです。そんな貧しい家庭で過ごしたのです。
でも、親の教えが素晴らしかったのです。「貧しくても心は錦でないといけない。貧しくても心が一番大事なのだ」と教えてくれたので、私はいつも笑顔でした。当時の写真を見ても本当に笑顔なのです。
父は私が中学校三年生の時から働いていませんでしたので、私と弟二人で新聞配達のアルバイトをして、六人家族が成り立っていたのです。貧しいということは、私にとって問題ではなかったのです。
心の貧しさの方がもっと問題ではないですか。物質の貧しさと心の貧しさでは、どちらが問題でしょうか。心が貧しい方が優れないと思います。
ですから、幼少期は物質的には貧しかったけれど、心は豊かだったのです。なぜなら小さい時から「命と人格が一番大事だ」と思っていましたから、食べられなくても笑顔だったのです。心が豊かだったら顔も豊かになるということです。
※内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。